世の中は 常にもがもな 渚こぐ
海人の小舟の 綱手かなしも鎌倉右大臣
この歌を一言でいうと、
「この世の中が、いつまでもこのまま変わらずにあってほしい。渚を行く漁師の小舟、その舟を引く綱の光景が、なんとも心にしみることだ」
という歌です。
作者は、鎌倉幕府三代将軍の源実朝。
将軍の歌でありながら、詠まれているのは合戦でも政治でもありません。
目の前にあるのは、
- 海辺
- 小さな舟
- 漁をする人々
- 舟を引く綱
という、ごく普通の日常の風景です。
そして実朝は、その何気ない日常を見ながら、
「このままであってほしい」
と願います。
ただし、この歌を「暗殺される運命を予感して平和を願った歌」と読むのは慎重であるべきです。
詳しく調べると、この一首は実朝の人生を知った後から読むだけでは見えにくい、非常に巧みな本歌取りによって作られていることが分かります。
現代語訳
世の中は、いつまでも変わらずこのままであってほしいものだ。渚を漕いでゆく漁師の小舟、その舟を引く綱の様子が、なんとも心にしみて愛おしく感じられる。
「常にもがもな」とは?
最初の重要な表現が、
「常にもがもな」
です。
「常に」は、
変わらず、永久に
という意味。
「もがも」は、実現してほしいことを願う終助詞です。
さらに最後の「な」は詠嘆を表します。
したがって、
「いつまでも変わらないでいてほしいものだなあ」
という意味になります。
ここでポイントなのは、「世の中は変わらない」と言っているのではなく、
変わってしまうからこそ、変わらないでほしいと願っている
ことです。
「常」を願う言葉の裏側には、すでに「無常」があります。
なぜ「世の中」から突然、小舟の話になるのか
上の句は非常に大きな言葉から始まります。
世の中は
常にもがもな
世界そのものが永遠であってほしい。
ところが次の瞬間、視線は急に小さくなります。
渚こぐ
海人の小舟の
綱手かなしも
描かれるのは、海辺の小さな舟です。
「世の中」という巨大なものと、「小舟」という小さなもの。
この落差が、この歌の魅力です。
世界が変わらずにあってほしいという願いが、抽象的な思想として語られるのではなく、
今日も海辺で人が働き、舟が行き来している
という具体的な日常へ結びついています。
「海人」とは?
「海人(あま)」は、海で働く人です。
ここでは漁師や海辺で舟を扱う人々を指すと考えられます。
実朝は将軍です。
その実朝が見つめているのは、貴族や武士ではありません。
海辺で働く人々です。
そのため、この歌を
「為政者である実朝が庶民の日常に心を寄せた歌」
と読むこともできます。
ただし、「民衆を救おうとする政治思想を詠んだ歌」とまで言えるような史料はありません。
まずは、海辺の何気ない光景に強く心を動かされた歌、と読むのが基本でしょう。
「綱手」とは何か
「綱手」は、
舟を引くための綱
です。
舟につけた綱を陸から引き、舟を進めたり岸へ寄せたりします。
したがって歌の情景としては、
海人の小舟が渚近くを進み、その舟につけられた綱が引かれている様子が思い浮かびます。
ここで実朝は、舟そのものだけでなく、
「綱手」
にまで目を向けています。
非常に細かな部分です。
大きな世界の不変を願いながら、最後には一本の綱へ視線が集中する。
このスケールの変化が印象的です。
「かなしも」は「悲しい」だけではない
現代語の「悲しい」だけで理解すると、この歌は少し分かりにくくなります。
古語の「かなし」には、
- 愛しい
- 心ひかれる
- しみじみと心に感じる
- 胸がいっぱいになる
といった意味があります。
『古今和歌集』1088番についても、「綱手かなしも」の「かなし」は、強く心をひかれる意味として説明されています。
したがって、
「綱手が悲しい」
というより、
「その光景がたまらなく心にしみる」
と訳す方が自然です。
この歌は二つの古い歌を組み合わせている
93番の最大のポイントはここです。
この歌には、少なくとも二つの重要な先行歌があります。
一つ目は『万葉集』巻一・22番。
川の上の ゆつ岩群に 草生さず
常にもがもな 常処女にて
「いつまでもそのままであってほしい」という
「常にもがもな」
という表現があります。『万葉集』22番の原文・訓読にも確認できます。
そして、もう一つが『古今和歌集』巻二十・東歌1088番です。
陸奥は いづくはあれど 塩釜の
浦漕ぐ舟の 綱手かなしも
こちらには、
「浦漕ぐ舟の綱手かなしも」
があります。
実朝の歌をもう一度見ると、
世の中は
常にもがもな渚こぐ
海人の小舟の
綱手かなしも
となっています。
つまり実朝は、
『万葉集』から「常にもがもな」
『古今和歌集』から「綱手かなしも」
を受け取り、それらを一首の中で結び直しているのです。
全日本かるた協会の百人一首解説でも、この二首を本歌として挙げています。
実朝は「古い歌をコピーした」わけではない
形だけ見ると、
「古い歌の言葉を二つつないだだけでは?」
と思うかもしれません。
しかし、実朝の歌では意味が大きく変わっています。
『万葉集』22番の「常にもがもな」は、
一人の女性がいつまでも若々しく変わらずにいてほしい
という願いです。
一方、『古今集』1088番は、
塩釜の浦を進む舟と綱手に心をひかれる
という東国の風景歌です。
実朝は、この二つを組み合わせ、
「世の中そのものが変わらずにあってほしい」
というところまで願いを広げました。
古歌の言葉を借りながら、歌の中心を別の場所へ動かしているのです。
『万葉集』『古今集』そして実朝
この構造は、実朝という歌人を考えるうえでも興味深いものです。
国文学研究資料館によると、藤原定家は承元3年(1209)、実朝に和歌を指導するため歌論書『近代秀歌』を贈っています。
一方、実朝の家集『金槐和歌集』には、『万葉集』『古今和歌集』など先行する和歌から学んだ痕跡が数多く見られます。
93番は、
万葉的な古い言葉
と、
古今集の東歌
を組み合わせながら、新しい一首を作った作品と見ることができます。
出典は『新勅撰和歌集』
百人一首93番は、
『新勅撰和歌集』巻八・羇旅、525番
に収められています。
全日本かるた協会の資料でも、所載歌集を「新勅撰集 羇旅 525」と確認できます。
『新勅撰和歌集』の撰者は藤原定家です。
つまり、
実朝に和歌を教えた定家が、後にこの歌を勅撰集へ採った
ことになります。
百人一首97番の作者でもある定家と93番の実朝は、師弟関係でもつながっています。
『金槐和歌集』では何番なのか
この歌は、実朝自身の家集である
『金槐和歌集』
にも入っています。
国際日本文化研究センターの和歌データベースでは、「金槐和歌集 雑」の中に、
よのなかは
つねにもかもな
なきさこく
あまのをふねの
つなてかなしも
として、594番に収録されています。
一方、現代の解説書などでは572番など別の番号が示される場合があります。
これは『金槐和歌集』に複数の伝本・本文系統が存在し、歌の配列や収録歌に差があるためです。
国際日本文化研究センターの和歌DBでは594番、と明記してあります。
この歌は由比ヶ浜で詠まれたのか?
百人一首の解説では、
「実朝が鎌倉の由比ヶ浜で漁師の舟を見て詠んだ」
と説明されることがあります。
実際、現在の鎌倉海浜公園には、この93番の歌碑もあります。
しかし、
「この歌を由比ヶ浜で詠んだ」ことと、「現在そこに歌碑がある」ことは別問題です。
『新勅撰和歌集』では、この歌の詞書は
「題しらず」
とされています。実朝歌の注釈資料でも同様に確認できます。
また、『金槐和歌集』では「舟」の歌として収められていますが、国際日本文化研究センターの本文からは具体的な地名は確認できません。
そのため、
鎌倉の海を念頭に置いていた可能性は十分ありますが、由比ヶ浜の実景をその場で詠んだ歌、とするのは避けた方が良いかもしれません。
なぜ『新勅撰集』では「羇旅」なのか
『新勅撰和歌集』では、この歌は
羇旅=旅の歌
に分類されています。
ところが、『金槐和歌集』の国際日本文化研究センターDBでは「雑」の中にあります。
さらに、実朝歌の詳細な注釈では、定家所伝本では旅部ではなく、雑部の無常歌・釈教歌群の直前に置かれていることも指摘されています。
これは興味深い点です。
同じ一首でも、
「海辺・旅の風景」
として読むか、
「世の無常について考えた歌」
として読むかによって、置かれる文脈が変わり得ます。
「世の中は常にもがもな」は平和への願いなのか
一般的には、この歌は
「平和な日常がいつまでも続いてほしいという願い」
と解釈されます。
これは歌の意味として自然です。
全日本かるた協会の解説でも、上句には「現世無常の自覚」があり、下句には「ささやかな日常への好意的なまなざし」があると解説されています。
ただし、
「鎌倉幕府の政争に疲れた実朝が、政治から逃れたいと思って詠んだ」
としてしまうことには注意が必要です。
歌には北条氏も、政治も、戦争も登場しません。
まず確認できるのは、
変化する世に対して「変わらないでほしい」と願い、海辺の日常に心を寄せている
ということです。
実朝の最期を知ってから読むと、どうしても切なく見える
源実朝は1192年生まれ。
源頼朝と北条政子の子で、鎌倉幕府三代将軍となりました。
そして1219年、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮を訪れた際、甥の公暁に殺害されます。
鎌倉市も、『吾妻鏡』建保7年正月27日条をもとに、実朝が鶴岡八幡宮から退出するところを公暁に襲われたと紹介しています。
こうした最期を知ってから、
世の中は
常にもがもな
を読むと、
「変わらないでほしいと願ったのに、実朝自身の人生はあまりにも激しく変わった」
と感じてしまいます。
しかし、ここで時間の順序を逆転させないことが大切です。
この歌は「暗殺を予感した歌」ではない
93番を、
「実朝が自分の死を予感して詠んだ歌」
と説明することがあります。
しかし、それを裏付ける史料は確認できません。
『金槐和歌集』定家所伝本系は建暦3年(1213)の成立とされます。兵庫県立美術館の文学資料でも、定家所伝本の成立を1213年12月としています。
実朝が殺害されたのは1219年です。
したがって、この歌を収める家集の成立時期と暗殺との間には数年あります。
もちろん実朝の生きた時代が政治的に安定していたわけではありません。
しかし、
後の暗殺事件から逆算して「死の予感」と決めつけるのは、後世の物語を歌に重ねすぎる可能性があります。
作者・源実朝とはどんな人物?
源実朝は、鎌倉幕府三代将軍です。
父は初代将軍・源頼朝、母は北条政子。
政治史では短命の将軍として有名ですが、日本文学史では非常に重要な歌人でもあります。
家集は、
『金槐和歌集』
です。
国立国会図書館にも源実朝著の『金槐和歌集』諸本が所蔵されており、古い版本には「鎌倉右大臣家集」という書名も確認できます。
藤原定家が実朝の和歌の先生だった
実朝と百人一首をつなぐうえで、非常に重要なのが藤原定家です。
国文学研究資料館によると、定家は1209年、
実朝に和歌を指導するため『近代秀歌』を贈りました。
百人一首では、
- 93番 源実朝
- 97番 藤原定家
として数首しか離れていません。
しかし単に同時代の歌人というだけではありません。
97番の作者が、93番の作者に和歌を教えていた
のです。
なぜ将軍・実朝は古代の歌をこれほど使ったのか
実朝の歌には、古代的な言葉遣いや『万葉集』の影響がしばしば指摘されます。
93番もその代表例です。
上の句では『万葉集』。
下の句では『古今和歌集』。
つまり実朝は、和歌の長い歴史そのものを材料にしています。
そのうえで、
「世の中の不変を願う将軍」
という新しいイメージを登場させました。
この歌の価値は、単に美しい海辺を詠んだことだけではありません。
千年以上にわたる和歌の言葉を、自分の時代へ呼び戻しているところにもあります。
93番を読む最大のポイント
この歌を実朝の生涯だけから読むと、
「悲劇の将軍が、失われる平和を惜しんだ歌」
という物語になります。
それも一つの鑑賞方法です。
しかし、原典と本歌をたどると、もっと面白い姿が見えてきます。
実朝は、
『万葉集』から、
「常にもがもな」
という不変を願う言葉を取り、
『古今和歌集』から、
「綱手かなしも」
という海辺への感動を取りました。
そして二つを結び、
「日常の光景が続くことそのものを願う歌」
へ作り替えました。
だから93番は、
単なる「実朝の悲しい人生を象徴する歌」ではありません。
むしろ、
古代の二つの歌を使って、日常そのものの尊さを新しく歌い直した作品
として読むことができます。
参考文献・参照資料
・全日本かるた協会「小倉百人一首フェスティバル」93番解説。『新勅撰集』羇旅525、本歌二首を確認。
・国際日本文化研究センター「和歌データベース 金槐集_実朝」。『金槐和歌集』所収本文、594番を確認。
・国立国会図書館『金槐和歌集』書誌。源実朝著、伝本・版本の確認。
・国文学研究資料館「近代秀歌」。藤原定家が1209年に実朝へ贈った歌論書であることを確認。
・『万葉集』巻一・22番。「常にもがもな」の先行例を確認。
・『古今和歌集』巻二十・東歌1088番。「塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも」を確認。
・鎌倉市「鎌倉の名宝104 木造源実朝坐像」。実朝の生没年、1219年の鶴岡八幡宮での殺害などを確認。
・兵庫県立美術館・兵庫文学館「金槐集」。定家所伝本の成立年を建暦3年(1213)12月とする資料を確認。

