来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ権中納言定家
読み方:
こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに
やくやもしおの みもこがれつつ
百人一首97番は、小倉百人一首の撰者とされる藤原定家自身の歌です。
来るはずの人が来ない。
その人を待ち続ける心を、淡路島の「松帆の浦」で焼かれる藻塩の熱さになぞらえ、
「私の身まで焼けるように恋い焦がれている」
と詠んでいます。
全日本かるた協会では、『新勅撰和歌集』恋三・849番として掲げられています。
「来ぬ人を」の意味
この歌を簡単に言えば、
「来てくれない恋人を待ち続ける私は、松帆の浦で焼かれる藻塩のように、身まで焦げるほど恋い焦がれている」
という歌です。
ただし、単純な恋愛感情だけではありません。
この一首には、
- 「待つ」と「松帆」
- 藻塩を「焼く」火
- 恋に「焦がれる」心
- 『万葉集』の松帆の浦
が幾重にも重なっています。
技巧を重ねながら、最後には非常に強い恋心が残る。
定家らしい一首です。
現代語訳
いつまで待っても来てくれないあの人を待っています。松帆の浦の夕凪のころに焼く藻塩のように、私の身も恋の思いに焦がれ続けながら。
少し自然な言葉にすると、
「あの人は来てくれない。それでも私は待っている。夕暮れの浜で藻塩を焼く火のように、私の心もずっと熱く焦がれている。」
というイメージです。
全日本かるた協会も、「松帆の浦の夕凪に焼く藻塩のように、わが身も恋い焦がされながら」という趣旨で訳しています。
「来ぬ人を」を一語ずつ読む
来ぬ人を
ここで最初に注意したいのが、
来ぬ
の「ぬ」です。
これは完了の助動詞「ぬ」ではありません。
打消の助動詞「ず」の連体形です。
したがって、
「来た人」ではなく「来ない人」
という意味です。
歌の冒頭から、
待っているのに相手が来ない
という状況が示されています。
まつほの浦
「松帆の浦」は、淡路島北部の海岸として伝わる歌枕です。
兵庫県立歴史博物館は、現在の所在地を淡路市岩屋松帆浦とし、古くから和歌に詠まれてきた名所として紹介しています。
淡路市も「明石海峡と松帆の浦」を日本遺産の構成文化財として挙げています。
そしてこの歌では、
まつほ
の「まつ」に、
人を「待つ」
という意味が響きます。
つまり、
来ない人を待つ
→ まつ
→ 松帆の浦
と、心情から地名へ自然につながっていくのです。
夕なぎ
「夕凪」は、夕方に風がやみ、海が静かになる時間です。
歌の舞台は、風の強い海ではありません。
動きの止まった、静かな夕方の海。
人を待っている時間が長く感じられるような、静止した風景です。
そして、その静かな浜辺で唯一強く動いているものが、
藻塩を焼く火
です。
この「静けさ」と「熱さ」の対照も印象的です。
焼くや藻塩
「藻塩」は、海藻と海水を利用して作られた塩です。
この歌では、浜辺で藻塩を作るため火を使う情景が詠み込まれています。
「松帆の浦」「夕凪」「藻塩焼き」という組み合わせは、定家が突然作り出したものではありません。
その背景には、『万葉集』の一首があります。
身もこがれつつ
「焦がる」は、
恋い焦がれる
という意味です。
しかしこの歌では、その直前に、
焼くや藻塩
があります。
実際に火で焼かれている藻塩と、
恋によって「焦がれる」身体。
この二つが重なります。
つまり、
焼く → 火 → 焦がれる
というイメージが、実景と恋心を結びつけているのです。
この歌は技巧だらけなのに、なぜ冷たく感じないのか
97番には、かなり多くの和歌技法が使われています。
代表的なのは、
「待つ」と「松」の掛詞
です。
さらに、
焼く・藻塩・焦がる
という火や製塩に関係する言葉が響き合っています。
そして、
まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の
という海辺の長い情景が、
身もこがれつつ
という恋心へつながります。
非常に技巧的です。
それでも、この歌が単なる「言葉遊び」に感じられないのは、
最後に残る感情が非常に単純だからでしょう。
「待っているのに来てくれない。」
その一つの感情を表現するために、定家は風景と言葉を何重にも重ねています。
元になった歌は『万葉集』にある
この歌を理解するうえで最も重要なのが、本歌取りです。
奈良県立万葉文化館のデータベースには、笠金村の長歌として次の歌が収録されています。
名寸隅の船瀬ゆ見ゆる淡路島
松帆の浦に朝凪に玉藻刈りつつ
夕凪に藻塩焼きつつ……
『万葉集』巻六・935番です。
ここにはすでに、
- 淡路島
- 松帆の浦
- 朝凪
- 夕凪
- 藻塩焼き
が登場しています。
つまり定家の、
まつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩
という風景は、この万葉歌を明確に踏まえています。
元の歌では「男が女を恋う」
さらにおもしろいのは、元の万葉歌の内容です。
笠金村の歌では、
松帆の浦に海人の娘がいると聞いたが、船も楫もなく会いに行く方法がないため、男がその女性を恋しく思う
という構図です。
奈良県立万葉文化館の現代語訳でも、その内容が確認できます。
一方、定家の97番は一般に、
来ない相手を待っている側の恋
として解釈されます。
研究論文でも、この歌を「待つ女」の心情を詠んだものとして扱う例があります。
つまり定家は、
万葉集:会いに行けない男
↓
定家:来ない人を待つ側
へと視点を組み替えています。
単に古い歌の言葉を借りただけではありません。
同じ松帆の浦を使いながら、恋の視点そのものを変えている
ところが、本歌取りとしての大きな魅力です。
定家は本当に松帆の浦へ行ったのか
この歌を読むと、
夕暮れの淡路島で定家が藻塩を焼く光景を見ているように感じます。
しかし、この歌を、
「定家が淡路島の松帆の浦を訪れ、実景を見て詠んだ」
と説明する根拠は確認できません。
むしろ、この歌の重要な背景は、
『万葉集』の言葉を使って構成された歌枕の世界
です。
実在する土地ではありますが、
実際に目の前で見た風景=和歌の風景
とは限りません。
これは和歌を読むうえで非常に重要なポイントです。
松帆の浦は現在どこにある?
松帆の浦は、現在の兵庫県淡路市岩屋周辺に比定されています。
兵庫県立歴史博物館によれば、淡路島最北部の海岸沿いで、明石海峡を渡る人々が風待ち・潮待ちをした場所でもありました。
現在は、目の前に明石海峡大橋があります。
定家の時代とは景観が大きく変わっていますが、
淡路島・海・明石海峡
という基本的な地理は今も変わりません。
この歌を読んでから現地を見ると、
800年以上前の和歌と現在の風景を重ねることができます。
この歌は建保4年の歌合で詠まれた?
この歌の成立時期には、少し注意が必要です。
『新勅撰和歌集』の詞書について、現代の注釈資料には、
「建保六年内裏歌合、恋歌」
とするものがあります。
一方、この「建保六年」は誤りで、実際には建保4年(1216)の内裏百番歌合で詠まれた歌だとする説明があります。
国立国会図書館にも「百番歌合―建保4年」を収める『群書類従』が所蔵されています。
また、建保4年の百番歌合では、
順徳天皇の歌と定家の「来ぬ人を」が番われ、定家側が勝となった
とする歌合記録の紹介もあります。
そのため本記事では、
建保4年(1216)の百番歌合に出された歌とする説を有力な成立事情として扱いつつ、『新勅撰集』詞書に建保6年とする資料があることも併記する
ことにしています。
『新勅撰和歌集』の歌番号にも違いがある
全日本かるた協会では、この歌を、
『新勅撰和歌集』恋三・849番
としています。
一方、『和歌文学大系 新勅撰和歌集』を引用する資料などでは、
851番
とする例があります。
そのため本記事では、
849番を基本表記として採用し、資料によって851番とする場合がある
としています。
作者・藤原定家とは
権中納言定家は、藤原定家です。
1162年に生まれ、1241年に亡くなりました。国立国会図書館の典拠でも、生没年は1162~1241年と確認できます。
父は、百人一首83番の作者でもある藤原俊成です。
定家は鎌倉時代初期を代表する歌人の一人で、
『新古今和歌集』の撰者
にも選ばれました。
国立国会図書館所蔵の『新古今和歌集』では、源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経が撰者として記録されています。
98番の藤原家隆とは、まさに同じ時代の歌壇を代表する存在でした。
また、定家は長年の日記『明月記』も残しています。国立国会図書館には定家の『明月記』写本が伝わっています。
百人一首の撰者が、自分の歌を選んだ
97番で特に興味深いのは、
百人一首を撰んだとされる定家自身の歌
だということです。
しかも100首の中には、定家の有名歌はいくつも候補になり得ました。
例えば、
見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮
など、定家を代表する歌はほかにもあります。
その中で百人一首に採られたのが、
来ぬ人を……
でした。
なぜこの歌だったのか。
これについて、定家本人が「この理由で選んだ」と説明した史料を今回確認することはできませんでした。
ただ、この歌は定家自身が『定家卿百番自歌合』にも選んだとされ、自分の作品の中でも重要視していた歌だった可能性があります。
この歌は「待つ時間」を火で描いた歌ではないか
ここからは、考察となります。
この歌を読むと、
火の歌
のようにも感じられます。
焼く
焦がれ
と、強い熱があります。
ところが前半の景色は、
夕なぎ
です。
風が止まっています。
海も静かです。
人も来ません。
つまり、
外の世界は動かない。
心の中だけが燃えている。
という構図になっています。
待っている人にとって、時間はなかなか進みません。
風の止まった夕暮れ。
何も起きない。
相手は来ない。
その静止した世界の中で、
恋心だけが藻塩の火のように燃え続ける。
そう読むと、この歌の「熱さ」がさらに強く感じられます。
もちろん、これは定家自身が明示した説明ではなく、歌の構造から広げた一つの読み方です。
まとめ|百人一首97番「来ぬ人を」とは
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
は、
来てくれない恋人を待つ苦しさを、夕凪の松帆の浦で焼かれる藻塩の熱さに重ねた恋歌
です。
作者は藤原定家。
百人一首の撰者とされ、『新古今和歌集』の撰者でもある、鎌倉時代を代表する歌人です。
そしてこの歌は、
単に美しい海辺を描いたものではありません。
『万葉集』の笠金村の長歌から、
松帆の浦・夕凪・藻塩焼き
という風景を受け継ぎながら、そこに「待つ恋」を重ねています。
古い歌をそのまま真似るのではなく、
昔の風景を借りて、新しい恋の物語を作る。
それが、この97番の大きな魅力です。
そして次の98番には、同じ新古今時代を代表する藤原家隆が続きます。
定家と家隆。
百人一首の終盤には、鎌倉時代初期の歌壇を代表する二人の歌が並んでいるのです。
参考資料
本文・現代語訳・出典については、全日本かるた協会を確認しました。『新勅撰和歌集』恋三・849番としています。
本歌となった笠金村の『万葉集』巻六・935番については、奈良県立万葉文化館「万葉百科」で本文・作者・現代語訳を確認しました。
松帆の浦の現在地・歴史については、兵庫県立歴史博物館および淡路市の公式資料を参照しました。
建保4年の百番歌合については、国立国会図書館所蔵『群書類従』に「百番歌合―建保4年」が収録されていることを確認しました。
藤原定家の生没年、『新古今和歌集』撰者であることについては国立国会図書館の典拠・書誌情報を参照しました。

