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百人一首

【百人一首99番】ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは|意味・現代語訳と後鳥羽院を解説

ChatGPT 画像 2026年9月27日 10 52 42

人もをし 人もうらめし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は

後鳥羽院

読み方:
ひともをし ひともうらめし あぢきなく
よをおもふゆゑに ものおもふみは

百人一首99番は、後鳥羽院が詠んだ一首です。

「人が愛しくもあり、恨めしくもある」。

冒頭から、正反対の感情が並びます。

しかし、この歌は特定の恋人への愛情や恨みを詠んだ恋歌ではありません。『続後撰和歌集』では雑歌に分類されており、人間や世の中そのものに対する複雑な思いを詠んだ歌として読むのが基本です。全日本かるた協会では『続後撰集』雑中1202番としています。全日本かるた協会

簡単なこの歌の意味

この歌を簡単に言えば、

「人を愛しく思うこともあれば、恨めしく思うこともある。思うようにならない世の中について深く考えるからこそ、私はこんなにも悩んでしまうのだ」

という歌です。

一番の特徴は、

人もをし
人もうらめし

という、真逆の感情をほとんど説明なしに並べていることです。

人を大切に思う気持ち。

人に失望し、恨めしく思う気持ち。

どちらも本心です。

そして、その矛盾を抱えてしまう理由を、

世を思ふゆゑに

と説明しています。

現代語訳

人が愛しくもあり、また恨めしくも思われる。思うようにならないものだと世の中を考えるために、物思いに苦しんでいるこの私には。

もう少し自然に言えば、

「人のことを大切に思うときもあれば、どうしてこんな人なのだと恨めしく思うときもある。世の中のことを考えれば考えるほど、私は悩まずにはいられない。」

という意味になります。

全日本かるた協会も、「人がいとおしくも、恨めしくもある」「つまらないものだと世の中を思うために物思いに苦しむ」という趣旨で訳しています。全日本かるた協会

一語ずつ読む

人もをし

ここでの「をし」は、

愛しい、いとおしい、大切に思われる

という意味です。

現代語の「惜しい」と同じ文字で表記される場合がありますが、この歌では単に「もったいない」という意味ではありません。

人という存在に対する愛着の感情です。

人もうらめし

「恨めし」は、

恨めしい、不満に思われる

という意味です。

面白いのは、

人もをし

と、

人もうらめし

が、まったく同じ「人も」という形で並んでいることです。

「人は愛しい。しかし人は恨めしい。」

どちらか片方に整理しないところに、この歌の強さがあります。

あぢきなく

「あぢきなし」は、

思うようにならない、どうにもならない、つまらない

といった意味を持つ形容詞です。

ここでは「あぢきなく」が「世を思ふ」にかかり、

世の中を思うようにならないものだと思う

という意味になります。

単に退屈というより、

「どうして世の中はこうなのだろう」

という、やりきれなさに近い言葉です。

世を思ふゆゑに

ここはこの歌をどう読むかを左右する重要な部分です。

「世」には、

  • 世の中
  • 人間社会
  • 自分が生きている時代
  • 政治や社会

など、かなり広い意味を持たせることができます。

後鳥羽院が上皇として政治にも深く関わった人物であるため、後世にはこの「世」を政治的な意味と結びつける解釈もあります。

ただし、原歌には幕府や朝廷などの具体的な政治語はありません。

したがって、

「世=鎌倉幕府との対立」

と直結させてしまうのは慎重であるべきです。

まずは、

「世の中を深く考えるからこそ、人に対して愛情も恨みも生まれ、悩んでしまう」

という歌として読むのがよいです。

物思ふ身は

「物思ふ」は、あれこれと思い悩むことです。

そして最後が、

身は

で終わります。

「私はこうなのだ」と強く言い切るというより、

物思いに沈んでいる自分自身を、少し離れたところから見つめている

ような余韻があります。

この歌の面白さは「矛盾」を解決しないこと

普通であれば、

「私は人が好きだ」

あるいは、

「私は人が嫌いだ」

と、どちらか一方に整理したくなります。

しかし後鳥羽院は、

人もをし
人もうらめし

と詠みました。

これは単純な矛盾ではありません。

人を大切に思うからこそ、期待する。

期待するからこそ、裏切られれば恨めしい。

無関心であれば、そもそも恨みも生まれません。

つまり、

愛惜と恨みは、まったく無関係な二つの感情ではない

とも読めます。

同じ人間社会の中にいるからこそ、人を大切に思い、同時に失望もする。

この歌は、その整理できない感情を、三十一音の中にそのまま残しています。

作者・後鳥羽院とは

後鳥羽院は、第82代天皇・後鳥羽天皇です。

宮内庁によれば、父は高倉天皇、母は七條院藤原殖子です。宮内庁

1180年に生まれ、平氏と源氏が争っていた時代に即位しました。

そして後鳥羽院は、政治だけでなく文化、とりわけ和歌の世界でも非常に大きな存在です。

國學院大學の資料では、『新古今和歌集』は後鳥羽院の命によって編纂され、藤原定家らが撰者を務めた勅撰和歌集であることが確認できます。後鳥羽院は隠岐への配流後も『新古今集』の歌をさらに選び直し、「隠岐本」と呼ばれる系統を生みました。国学院大学

つまり後鳥羽院は、

単なる「百人一首に一首選ばれた歌人」ではありません。

百人一首を選んだ藤原定家が活躍した新古今時代そのものを作った中心人物の一人でもあります。

この歌は承久の乱の後に詠んだ歌ではない

後鳥羽院という名前を聞くと、多くの人がまず承久の乱を思い浮かべるでしょう。

1221年、後鳥羽院は鎌倉幕府執権・北条義時追討の院宣を出しましたが、朝廷側は敗北しました。

その後、後鳥羽院は隠岐へ移され、海士町で19年間を過ごし、1239年に都へ戻ることなく亡くなります。海士町の公式資料でも、この経過が確認できます。邑智町公式サイト

しかし、

人もをし 人もうらめし……

は、承久の乱後の隠岐で詠まれた歌ではありません。

専門的な後鳥羽院歌資料では、この歌を、

建暦2年(1212)12月の「二十首御会」・述懐

の歌としています。朝日ネット

承久の乱は1221年ですから、およそ9年前です。

したがって、

「幕府との戦いに敗れ、隠岐で人を恨んで詠んだ歌」

という説明は時系列上成立しません。

これは、この歌を理解するうえで非常に重要です。

「世」とは政治のことなのか

では、

世を思ふ

とは、後鳥羽院が政治について悩んでいたという意味なのでしょうか。

そのように読む余地はあります。

後鳥羽院は上皇として院政を行っており、政治的な立場と無関係な人物ではありません。

また、近世の注釈でも、この歌を「今の世のありさま」を思う歌として解説した例があります。ADEAC

しかし、

だからこの歌が「鎌倉幕府への不満を詠んだ歌」である

とまで断定するのは別問題です。

歌には具体的な政治対象が書かれていません。

「世」はもっと広く、

人間社会、時代、人と人との関係すべて

を含む可能性があります。

この曖昧さが、むしろこの歌を普遍的なものにしています。

出典は『続後撰和歌集』

百人一首99番の出典は、『続後撰和歌集』です。

全日本かるた協会では、

雑中・1202番

としています。全日本かるた協会

専門的な『続後撰集』本文紹介でも、

題しらず
後鳥羽院御製

として1202番にこの歌が置かれています。朝日ネット

一方、宮内庁書陵部蔵本を出典として示すUniversity of Oregonの研究データには、

「1202/1199」

という二つの番号が併記されています。Glam

そのため本記事では、現在確認した主要資料に従って1202番を本文で採用しつつ、資料・底本・番号体系によって1199番とされる場合があることを注記しておきます。

「題しらず」なのに、詠まれた場面がわかる?

『続後撰和歌集』では、この歌の詞書は、

「題しらず」

です。朝日ネット

つまり『続後撰集』だけを見れば、どのような場で詠まれたかは説明されていません。

一方、『後鳥羽院御集』に基づく専門的な歌人資料では、

建暦2年12月の二十首御会・述懐

とされています。朝日ネット

このように、

勅撰集では「題しらず」でも、別の歌集・資料から詠作状況がわかることがある

のも、和歌を調べる面白さの一つです。

99番と100番――なぜ後鳥羽院・順徳院で終わるのか

百人一首の最後の二首は、

99番 後鳥羽院
100番 順徳院

です。

順徳院は後鳥羽院の皇子で、承久の乱後には父と同様に都を離れることになりました。

100番「百敷や」については、すでにこちらの記事で詳しく解説しています。

百人一首100番「百敷や」の解説

この父子が百人一首の最後に並んでいるため、

藤原定家が王朝の終焉や承久の乱を意識して配置したのではないか

という解釈があります。

しかし、ここは100番と同じく慎重に扱う必要があります。

99番と100番が後鳥羽院・順徳院であることは事実です。

一方、

定家がどのような政治的意図をもってこの二人を最後に置いたか

について、定家自身の明確な説明を今回確認することはできませんでした。

「人もをし、人もうらめし」は現代にも通じる

この歌が面白いのは、

人間に対する感情を一つに決めない

ところです。

人が好き。

でも人が嫌い。

信頼したい。

でも期待を裏切られる。

世の中を良くしたいと思うほど、思い通りにならないことも見えてくる。

後鳥羽院は、

人もをし
人もうらめし

と、矛盾を解決しないまま歌にしています。

これはむしろ、とても現代的な感情にも見えます。

仕事でも、家族でも、友人関係でも、

本当に関心がある相手だからこそ、

愛着と不満が同時に生まれる

ことがあります。

そして、

世を思ふゆゑに

という言葉も興味深いところです。

何も考えなければ、悩まない。

しかし世の中や人間について考えるからこそ、物思いが生まれる。

この歌は、

「考える人ほど、簡単には割り切れない」

という人間の姿を詠んだ歌とも読めるのではないでしょうか。

もちろん、これは後鳥羽院本人がそう説明したという意味ではなく、本記事としての一つの読み方です。

まとめ|百人一首99番「人もをし」とは

人もをし 人もうらめし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は

は、

人を愛しくも恨めしくも思う、矛盾した自分の心を、世の中を深く思うことから生じる物思いとして詠んだ歌

です。

作者は、第82代天皇であり、『新古今和歌集』の成立を主導した後鳥羽院です。宮内庁

後鳥羽院はのちに承久の乱に敗れ、隠岐で生涯を終えますが、この歌はその乱後に詠まれた歌ではありません。

だからこそ、この一首を「敗者の恨み」とだけ読むのではなく、

人間や世の中を真剣に考えるがゆえに生じる、愛着と失望の両方を抱えた歌

として読むと、その魅力がよりよく見えてきます。

そして、その後に百人一首100番・順徳院の「昔なりけり」が続きます。

父と子。

「人」と「世」に悩む99番と、「昔」を偲ぶ100番。

百人一首の最後の二首は、並べて読むことでさらに興味深い世界が開けてきます。

参考資料

本文・現代語訳・出典歌番号については全日本かるた協会を参照しました。『続後撰和歌集』雑中1202番として掲載されています。全日本かるた協会

『続後撰集』本文と「題しらず」については、専門的な古典和歌資料および宮内庁書陵部蔵本に基づくUniversity of Oregonのデータを照合しました。後者では歌番号を1202/1199と併記しています。朝日ネット

詠作時期については、『後鳥羽院御集』に基づく歌人資料で建暦2年12月の二十首御会・述懐歌とされています。朝日ネット

後鳥羽天皇の系譜は宮内庁、『新古今和歌集』と後鳥羽院の関係は國學院大學、承久の乱後の隠岐での生活については海士町公式資料を参照しました。宮内庁

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