み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて
ふるさと寒く 衣うつなり参議雅経
この歌を一言でいうと、
「吉野の山に秋風が吹き、夜が更けるほど寒さが増していく。その静かな夜に、どこからか衣を打つ砧の音が響いてくる」
という歌です。
百人一首94番は、目の前の景色を華やかに描いた歌ではありません。
見えてくるのは暗い山里。
感じるのは冷たい秋風。
そして静寂のなかから聞こえてくるのが、
「衣を打つ音」
です。
さらに詳しく調べると、この歌は単純な秋の叙景歌ではありません。
坂上是則が『古今和歌集』で詠んだ「雪の吉野」を踏まえながら、雪という視覚的な風景を、秋風と砧の音という身体感覚・聴覚の世界へ作り替えた本歌取りになっています。
しかも、この歌が詠まれた時期までかなり正確にわかっています。
『新古今和歌集』では巻第五・秋歌下の483番、詞書は「擣衣の心を」。さらに雅経の家集『明日香井和歌集』では、建仁2年(1202)8月25日の「詠百首和歌」に収められていることが確認されています。
現代語訳
吉野の山に秋風が吹きわたり、夜が更けてゆく。昔からのこの吉野の里は寒々として、どこからか衣を打つ砧の音が聞こえてくることだ。
「衣うつ」という表現が、この歌の大きなポイントです。
「衣うつ」とは何をしているのか
「衣を打つ」とは、布を砧(きぬた)などの上に置き、木槌などで打つ作業です。
布を柔らかくしたり、艶を出したりするために行われました。
『新古今和歌集』でも、この歌には
「擣衣の心を」
という詞書が付けられています。「擣衣」は、衣を打つことです。
重要なのは、雅経が実際の作業そのものを詳しく説明しているわけではないことです。
静まり返った秋の夜に、
トン、トン……
と遠くから規則的な音が聞こえてくる。
その音によって、目に見えない寒さや夜の深さまで感じさせています。
この歌では、寒さを単に「寒い」と説明するのではなく、音によって寒さを感じさせているのです。
「み吉野」とはどこか
「み吉野」の「み」は、美称として添えられた接頭語です。
つまり「み吉野」は吉野のことです。
現在の奈良県吉野地方は、桜の名所として非常に有名ですが、和歌の世界では桜だけでなく、雪・山・川・秋風など、さまざまな姿で詠まれてきました。
さらに吉野には古代から皇室との深い関係があります。
現在の奈良県吉野町宮滝には宮滝遺跡があり、吉野町はこの場所を飛鳥・奈良時代の吉野宮と関連する重要な遺跡として紹介しています。天武天皇や持統天皇らが吉野を訪れたことも史料に残っています。
奈良県立万葉文化館でも、吉野宮は現在の吉野町宮滝付近にあった離宮として説明されています。
「ふるさと」は現代語の「故郷」ではない
ここで少し注意したいのが、
「ふるさと寒く」
という部分です。
現代語の「ふるさと」から、
「雅経の故郷が吉野だったのか」
と思うかもしれません。
しかし、そうではありません。
古典和歌の「ふるさと」には、
- 古くからある里
- 昔なじみの場所
- 古い由緒を持つ土地
- かつて人が栄えた場所
などの意味があります。
一般的な百人一首解説では「古都」と訳されることもありますが、吉野そのものが恒常的な都であった、と単純に言い切るのは少し正確さを欠きます。
吉野には古代の吉野宮・離宮があり、天皇たちが繰り返し訪れた特別な土地でした。
したがってこの記事では、
「古くから天皇や宮廷文化と結びついてきた吉野の里」
という程度に捉えておくのが適切でしょう。
実はこの歌には「元になった歌」がある
94番を理解するうえで非常に重要なのが、本歌取りです。
本歌と考えられているのは、坂上是則の『古今和歌集』325番です。
み吉野の 山の白雪 つもるらし
ふるさと寒く なりまさるなり
意味はおおよそ、
「吉野の山には白雪が積もっているらしい。古い里では、寒さがますます厳しくなっている」
というものです。
『古今和歌集』巻六・冬歌325番として確認できます。
雅経の歌と並べてみましょう。
坂上是則:
み吉野の
山の白雪
つもるらし
ふるさと寒く
なりまさるなり
飛鳥井雅経:
み吉野の
山の秋風
さ夜ふけて
ふるさと寒く
衣うつなり
驚くほど形が似ています。
雪を消して「秋風」と「音」を入れた
二首の最大の違いは、
是則=雪
雅経=秋風+砧の音
という点です。
是則の歌では、吉野の寒さを象徴するものは「白雪」です。
雪は目に見えます。
つまり視覚によって寒さを表しています。
一方の雅経は、雪を使いません。
代わりに、
- 山の秋風
- 夜が更けること
- 衣を打つ音
を置きました。
風は肌で感じるもの。
砧は耳で聞くもの。
雅経は、本歌の骨格を残したまま、
「見る寒さ」から「感じ、聞く寒さ」へ
世界を組み替えたのです。
これこそ、この歌の本歌取りの巧みさです。
本歌取りとは「昔の歌をコピーすること」ではない
本歌取りというと、
「昔の歌の一部を借りること」
と思われがちです。
しかし優れた本歌取りは、単なる引用ではありません。
読者が元の歌を知っていることを前提に、
元歌と新しい歌との差そのものを楽しませる技法
です。
94番では、
「み吉野の」
「ふるさと寒く」
「なり」
など、是則歌の一部が強く残っています。
だからこそ「白雪」が消え、「秋風」「さ夜ふけて」「衣うつ」が入った変化が際立ちます。
昔の歌を思い出しながら読むと、雅経が何を残し、何を変えたかが見えてくるのです。
「さ夜ふけて」にもう一つ意味がある?
一般的には、
「さ夜ふけて」=夜が更けて
と理解すれば十分です。
ただし、この部分について興味深い研究があります。
百人一首研究者の吉海直人氏は、94番の
「山の秋風 さ夜ふけて」
というつながりに注目しています。
「夜が更ける」の「ふけ」と、
風が「吹く」
という音を重ねて読む可能性です。
吉海氏は『百人一首を読み直す2―言語遊戯に注目して―』で、「さ夜更けて」の掛詞的用法を一章を使って論じています。同書の目次にも「参議雅経歌(九四番)の『さ夜更けて』の掛詞的用法」という章が確認できます。
つまり、
山の秋風――夜が更けて
と読むと同時に、
秋風が吹けて
という音まで、かすかに響かせているのではないかという考え方です。
これは通説ではなく「研究上の解釈」
ここは区別しておく必要があります。
通常の文法では、
「ふけて」は動詞「更く」の連用形です。
したがって、
「夜が更けて」
というのが基本的な解釈です。
「風が吹けて」という意味まで重ねる読み方は、一般的な現代語訳に必ず含めるべき意味ではありません。
吉海氏が提示しているのは、この歌の表現をさらに細かく分析した研究上の解釈です。
ただし、この説を知ってから
山の秋風
さ夜ふけて
と声に出して読むと、「秋風」と「ふけて」が非常に近く置かれていることに気づきます。
意味だけでなく、音の連なりまで計算している可能性を考えると、新古今時代の和歌らしい技巧が見えてきます。
この歌はいつ詠まれたのか
94番は、詠作時期をかなり具体的に確認できます。
埼玉県立久喜図書館が国立国会図書館のレファレンス協同データベースに登録している調査では、『冷泉家時雨亭叢書』所収の『明日香井和歌集』に、
「建仁二年八月廿五日」
と記された「詠百首和歌」があり、その秋の部に94番が収録されています。
西暦では、
1202年8月25日
です。
『新古今和歌集』成立の少し前、後鳥羽院を中心とした新古今歌壇が最も活発だった時期にあたります。
作者・参議雅経とはどんな人物?
参議雅経は、
飛鳥井雅経(藤原雅経)
のことです。
1170年生まれ、1221年没。
国立国会図書館の典拠データでも、飛鳥井雅経の生没年は1170~1221年、歌人・公卿として登録されています。
父は難波頼経。
藤原俊成に和歌を学び、後鳥羽院の歌壇で活躍しました。
そして藤原定家、藤原家隆らとともに、
『新古今和歌集』の撰者の一人
となっています。
国立国会図書館所蔵の『新古今和歌集』でも、源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経の5人が撰者として記録されています。
蹴鞠の世界でも超一流だった
雅経には、もう一つ重要な顔があります。
蹴鞠の名人
です。
飛鳥井雅経は蹴鞠の飛鳥井流の祖となり、その子孫である飛鳥井家は、和歌と蹴鞠の両方を家の伝統として受け継いでいきました。
つまり雅経は、
和歌と蹴鞠という二つの「型」を極めた人物
でもあります。
決められた形式の中で、わずかな変化によって美しさを生み出す。
そう考えると、本歌の構造を保ちながら新しい情景へ作り替えた94番の技巧は、雅経という人物の一面をよく表しているようにも見えます。
雅経は吉野でこの音を聞いたのか
この歌を読むと、
「雅経が吉野にいて、実際に砧の音を聞いた」
ように感じます。
しかし、それを史実として断定することはできません。
『新古今和歌集』の詞書は、
「擣衣の心を」
です。
つまり、「衣を打つ情景を題として詠んだ」という性格の歌です。
さらに、本歌取りによって坂上是則の吉野歌を明確に踏まえています。
したがって、
実際の吉野旅行で偶然聞いた音をそのまま詠んだ歌
と考えるより、
和歌の伝統の中にある「吉野」と、新しい歌題である「擣衣」を組み合わせて作った作品
として考える方がよいかもしれません。
「吉野+砧」という組み合わせ自体が新しかった
吉海直人氏は、この歌について、古くから吉野は雪などと結びついて詠まれてきた一方、雅経が吉野と「砧」を組み合わせた点に注目しています。
また、「擣衣」という歌題は『古今集』『後撰集』『拾遺集』の三代集には見られず、平安後期以降に和歌題として広がっていったことを論じています。
つまり雅経は、
古い歌枕である吉野
に、
比較的新しい和歌表現として発達した砧
を組み合わせたことになります。
伝統的でありながら、新しい。
94番はまさに『新古今和歌集』の時代らしい歌ともいえます。
94番を読む最大のポイント
94番を普通に読むと、
「秋の夜の吉野は寒く、砧の音が聞こえる」
という美しい叙景歌です。
しかし、本歌までさかのぼると印象が変わります。
坂上是則が詠んだのは、
雪に覆われる冬の吉野。
雅経が詠んだのは、
秋風と音に包まれる夜の吉野。
雅経は昔の名歌を壊さず、その輪郭だけを残しました。
そして雪を消し、
風を吹かせ、
夜を更けさせ、
最後に遠くから砧の音を響かせました。
一枚の冬景色だった古今集の吉野を、時間と音の流れる秋の夜へ変えた。
そこに、この歌の最大の面白さがあります。
参考文献・参照資料
・『新古今和歌集』巻第五・秋歌下483番。詞書「擣衣の心を」、作者「藤原雅経」を確認。Japanese Text Initiative。
・国立国会図書館レファレンス協同データベース「『詠百首和歌』について」。『明日香井和歌集』所収、建仁2年8月25日の詠作であることを確認。
・『新古今和歌集』国立国会図書館所蔵資料。雅経を含む撰者5名を確認。
・国立国会図書館典拠データ「飛鳥井, 雅経, 1170-1221」。
・吉海直人『百人一首を読み直す2―言語遊戯に注目して―』新典社、2020年。「参議雅経歌(九四番)の『さ夜更けて』の掛詞的用法」を参照。書誌・章題は新典社およびCiNii Booksで確認。
・吉野町「宮滝遺跡・史跡宮滝遺跡について」「吉野歴史資料館 常設展示」。吉野宮・宮滝遺跡の歴史的背景を確認。

