ながらへば
またこのごろや
しのばれむ
憂しと見し世ぞ
今は恋しき――藤原清輔朝臣
百人一首84番は、
「今はつらい。でも、もっと長く生きた未来の自分から見れば、このつらい日々さえ懐かしく思えるのではないか」
と詠んだ歌です。
作者は藤原清輔。
出典は『新古今和歌集』巻十八・雑歌下、1843番です。国際日本文化研究センターの和歌データベースでも、清輔の歌として1843番に収録されていることを確認できます。
この歌で面白いのは、単に、
「昔が懐かしい」
と振り返っているのではないことです。
過去を見ている現在の自分を、さらに未来の自分から見ようとしている。
過去・現在・未来という三つの時間が、わずか31音の中に入っています。
まず意味を簡単に
この歌をわかりやすくすると、
「この先も長く生きていたなら、今のこのつらい日々も、いつか懐かしく思い出されるのだろうか。以前はつらいと思っていた昔の日々が、今では恋しく思えるのだから」
という意味です。
全日本かるた協会も、
「生きながらえたとしたら、今この頃がなつかしく偲ばれるのだろうか。あの辛いと思っていた昔が今では恋しいよ」
という趣旨で現代語訳しています。
明るい希望を歌ったというより、
今がかなり苦しいからこそ、「この苦しみもいつか懐かしくなるのだろうか」と自分に問いかけている歌
と考えると、心情がよくわかります。
現代語訳
このまま長く生き続けたなら、今のこの頃のことも、いつか懐かしく思い出されるのだろうか。以前はつらいと思っていた昔の日々でさえ、今では恋しく懐かしく思われるのだから。
「今はつらいけれど、きっと将来はよくなる」
と言い切っているわけではありません。
またこのごろや
しのばれむ
と、
「本当に、そんな日が来るのだろうか」
と問いかけています。
そこにこの歌の複雑さがあります。
この歌をAIの画像描写で表現するなら
84番は、特定の自然風景を描いた歌ではありません。
中心にあるのは、
時間と記憶
です。
そのため、画像描写では一人の若い貴族を中心に、
- 現在の暗く沈んだ姿
- 過去の記憶
- さらに未来へ続いていく時間
を一枚の中で見せる構図が向いています。
たとえば、薄暗い室内に座る若い藤原清輔。
手前は現在。
その背後や障子の向こうに、少し明るくぼやけた過去の情景を重ねます。
しかし、昔の場面そのものが幸せだったとは限りません。
昔もその時には「憂し」と感じていた。
それなのに現在から見ると、その昔が懐かしい。
そこで画像も、単純な「幸せな過去と苦しい現在」ではなく、
時間が経つことで同じ記憶の見え方が変わっていく
ことを表現すると、この歌に忠実な描写となります。
「ながらへば」とは?
「ながらふ」は、
生き長らえる
という意味です。
ながらへば
は、
「もしこのまま生き長らえたならば」
という仮定です。
歌は最初から未来を向いています。
しかし、その未来を考える材料になっているのは、過去です。
未来と過去を結びつける中心に、
現在のつらい自分
がいます。
「またこのごろや しのばれむ」
「このごろ」は、
今この頃
です。
「しのばれむ」は、
自然と懐かしく思い出されるだろう
という意味になります。
「れ」は自発の助動詞「る」。
自分から意識して思い出そうとするのではなく、
時間が経ったとき、自然と懐かしく思い出される
というニュアンスです。
さらに「や」があるため、
またこのごろやしのばれむ
は、
「今のこの頃も、いつか懐かしく思い出されるのだろうか」
という疑問になります。
「憂しと見し世」とは?
「憂し」は、
つらい、いやだ、苦しい
という意味です。
「見し」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。
したがって、
憂しと見し世
は、
「つらいと思っていた時代」
です。
ここで重要なのは、
その昔も、当時の清輔にとってはつらかった
ということです。
今から見れば美化されているけれど、当時は決して楽しい時間ではなかった。
これが84番の核心につながります。
昔はつらかったのに、なぜ今は恋しいのか
人は過去を、その時とまったく同じ感情では思い出しません。
当時は苦しかった。
早く終わってほしいと思っていた。
しかし何年も経って振り返ると、
その苦しかった時間さえ、自分の人生の一部として懐かしく感じる。
84番では、その経験を使って現在を見ています。
昔について、
憂しと見し世ぞ
今は恋しき
と気づく。
すると、
「では、今つらいと思っているこの時間も、未来の私は懐かしく思うのだろうか」
という問いが生まれます。
過去→現在→未来ではなく、未来→現在→過去
時間順に出来事を並べれば、
過去 → 現在 → 未来
です。
しかし歌は逆方向に動きます。
最初に、
ながらへば
と未来を想像します。
そこから、
このごろ
という現在を見る。
そして最後に、
憂しと見し世
という過去へ戻ります。
つまり、
未来
↓
現在
↓
過去
と視線が動くのです。
そして過去を見た結果、もう一度現在の意味が変わります。
この時間の往復が、84番の非常に面白いところです。
「や」と「ぞ」――二つの係り結び
この歌には、係り結びが二つあります。
まず、
このごろや
しのばれむ
です。
「や」を受けて「む」が結びになります。
もう一つが、
憂しと見し世ぞ
今は恋しき
です。
「ぞ」を受けて、形容詞「恋し」の連体形「恋しき」で結んでいます。
前半は、
未来への問い
です。
後半は、
過去について現在わかった事
です。
文法的にも、
「未来はどうなるのだろう?」
→「でも過去については、こうだった」
という構造になっています。
「老人の人生回顧」の歌ではない
この歌だけを読むと、
長い人生を生きた老人が、
「昔はいろいろつらかったけれど、今となれば懐かしいものだ」
と詠んだようにも見えます。
しかし、成立事情を確認すると少し違います。
全日本かるた協会の百人一首フェスティバルの解説では、この歌を清輔が20代後半から30代半ば頃に詠んだ述懐歌としています。この時期は清輔の名が史料にあまり現れず、不遇の時代だったと説明されています。
つまりこれは、
人生の終わりに過去を振り返った老人の歌ではなく、まだ若い歌人が、苦しい現在をどう受け止めるか考えた歌
なのです。
この成立背景を知ると、歌の印象がかなり変わります。
『清輔集』には、さらに具体的な詞書がある
家集『清輔集』には、この歌について、
「いにしへおもひいでられけるころ、三条内大臣いまだ中将にておはしける時つかはしける」
という趣旨の詞書が伝わっています。
つまり、
昔のことが思い出されていた頃、のちの三条内大臣・藤原公教がまだ中将だった時に送った歌
とされています。
注釈では、公教が中将だった時期を1130年から1136年頃としており、清輔自身も20代後半から30代前半頃に当たります。
このため、
不遇だった公教を清輔が励ますために送った歌ではないか
という解釈もあります。
ただし、清輔自身の述懐として読んでも十分に意味が成立します。
若い人が詠んだからこそ面白い
仮に30歳前後の歌だとすると、
憂しと見し世ぞ
今は恋しき
という言葉はさらに興味深くなります。
まだ人生の半ばにも達していない若い人が、
「昔はつらいと思っていたけれど、その昔すら今では懐かしい」
と気づいている。
そして、
「だったら、今の苦しみもいつか同じように思えるのではないか」
と考えます。
これは単なる懐古ではなく、
過去の経験から未来の自分を想像して、現在を耐えようとする思考
とも読めます。
「今がつらい」ことは消えていない
84番を、
「時間が経てば全部いい思い出になるよ」
という前向きな歌として考えるのも少し違います。
清輔は、
しのばれむ
つまり、
「懐かしく思うのだろうか」
と疑問形にしています。
未来を保証してはいません。
今がつらいという事実も消えていません。
それでも、
以前にも「つらい」と思った時代があり、それを現在では懐かしく思えている。
その事実だけを手がかりに、少し先の自分を想像しています。
この曖昧さが、現代にも通じるところではないでしょうか。
作者・藤原清輔とは
藤原清輔は1104年生まれ、1177年没。
平安時代末期を代表する歌人であり、同時に重要な歌学者でもありました。
父は、百人一首79番の作者で、『詞花和歌集』の撰者でもある藤原顕輔です。
嵯峨嵐山文華館も、清輔を「顕輔の子」で、歌道の六条家を継ぎ、『続詞花集』を編纂した人物と説明しています。
歌人として作品を作るだけでなく、
和歌とはどういうものなのか
過去の歌をどう理解するのか
歌会や歌合にはどのような決まりがあるのか
といったことを研究・整理した人物でもあります。
六条藤家の中心人物
清輔が継いだのが、
六条藤家
と呼ばれる歌道の家です。
六条藤家は藤原顕季を祖とし、顕輔、清輔らを輩出した歌人・歌学者の家系でした。
とくに顕輔・清輔の時代に最盛期を迎え、歌学の研究でも大きな役割を果たしました。
清輔はその中心人物として、
- 『奥義抄』
- 『袋草紙』
- 『和歌初学抄』
- 『続詞花和歌集』
などを残しています。
兵庫県立美術館も、清輔を藤原俊成と並び称された歌人・歌学者とし、六条藤家の歌道を支えた人物と紹介しています。
『袋草紙』を著した歌学者でもある
清輔の代表的な歌学書の一つが、
『袋草紙』
です。
『袋草紙』は1157~1158年頃に成立したとされ、和歌会や撰集に関する故実だけでなく、和歌にまつわる説話なども収めています。
国文学研究資料館の研究資料でも、『袋草紙』は藤原清輔による和歌論書として位置づけられ、歌合などに関するさまざまな内容を含むことが説明されています。
つまり84番の作者は、
感情を歌にした歌人
であると同時に、
和歌そのものを研究した専門家
でもあったのです。
父・藤原顕輔も百人一首歌人
清輔の父・藤原顕輔は、百人一首79番、
秋風に
たなびく雲の
たえ間より
もれ出づる月の
かげのさやけさ
の作者です。
顕輔は『詞花和歌集』の撰者であり、父・顕季から六条家の歌道を継承しました。
そして、その家を清輔が受け継ぎます。
百人一首の中に、
79番・父 藤原顕輔
→84番・子 藤原清輔
という親子が入っているわけです。
父の79番は、雲の切れ間から現れる月の美しさを詠んだ純粋な叙景歌。
子の84番は、自分自身の人生と時間を見つめる述懐歌。
親子でも、百人一首に選ばれた歌の性格は大きく異なっています。
藤原俊成との関係
同じ時代の重要人物が、百人一首83番の藤原俊成です。
藤原清輔は六条藤家。
藤原俊成は、のちに藤原定家へつながる御子左家。
中世和歌の世界では、この二つの家が歌道の大きな勢力となります。
百科事典でも清輔は、藤原俊成と並び称され、御子左家に対する六条藤家の中心人物として位置づけられています。
百人一首では、
83番・俊成
84番・清輔
と、二人が隣り合っているのも興味深いところです。
『新古今和歌集』では前後にも「人生」を考える歌が並ぶ
『新古今和歌集』で84番は1843番です。
その直前の1842番は西行。
後には再び西行、藤原俊成らの歌が続きます。
このあたりは雑歌の中でも、人生や過去、世の中を振り返る歌が並ぶ部分です。
百人一首だけで84番を見ると、
「つらい今もいつか懐かしくなる」
という一首に見えます。
しかし『新古今集』の中に戻すと、
人がどう生き、どう過去を振り返るのか
という、より大きな流れの中に置かれていることがわかります。
85番と続けて読むと「時間」の感じ方が正反対
次の百人一首85番、俊恵法師は、
夜もすがら
物思ふころは
明けやらで
閨のひまさへ
つれなかりけり
と詠みました。
85番についてはこちらで詳しく解説しています。
【百人一首85番】夜もすがら 物思ふころは 明けやらで|意味・現代語訳と俊恵法師を解説
84番と85番には、実は共通点があります。
どちらも、
人間の心によって時間の感じ方が変わる歌
です。
84番では、何年も離れた過去が懐かしくなる。
85番では、たった一晩がいつまでも終わらないように感じられる。
84番は長い年月。
85番は一夜。
スケールはまったく違いますが、どちらも時計で測る時間ではなく、
心の中の時間
を詠んでいます。
84番を読むときの一番大切なポイント
この歌は、
「昔はよかった」
という単純な懐古の歌ではありません。
昔も、その当時はつらかった。
しかし今になると懐かしい。
その経験があるから、
「今つらいこの時間も、未来の自分には懐かしく感じられるのだろうか」
と考える。
つまり、
過去の記憶を使って、未来から現在を見る
という少し不思議な構造になっています。
しかも、この歌は老いた清輔の人生回顧ではなく、家集の詞書などからは比較的若い時期の作品と考えられます。
だからこそ、
「人生をすべて知った人の達観」
ではありません。
むしろ、
まだ人生の途中にいる人が、過去の経験を材料にして、苦しい現在の先を想像しようとした歌
と読む方が、84番の魅力がよく見えてきます。
関連する百人一首
79番・左京大夫顕輔
藤原清輔の父・藤原顕輔です。父子ともに百人一首歌人であり、六条藤家の歌道を継承しました。
83番・皇太后宮大夫俊成
清輔と並び称された同時代の大歌人です。六条藤家と御子左家という中世和歌史の大きな流れにつながります。
85番・俊恵法師
84番が長い人生の時間を扱うのに対し、85番は眠れない一夜の時間を描きます。
100番・順徳院
「昔を偲ぶ」という点で84番と読み比べたい述懐歌です。ただし、100番では古い宮廷の景色から過去へ向かうのに対し、84番は過去を材料に未来を想像します。
参考資料・参照先
『新古今和歌集』1843番の本文と前後の配列は、国際日本文化研究センター「和歌データベース」で確認しました。
百人一首84番の本文・現代語訳・出典は、全日本かるた協会「一日一首」でも確認しました。
清輔が若い時期に詠んだ述懐歌であるという位置づけについては、全日本かるた協会「小倉百人一首フェスティバル2020」の解説を参照しました。
作者・藤原清輔の経歴は、公益財団法人小倉百人一首文化財団・嵯峨嵐山文華館および兵庫県立美術館「ネットミュージアム兵庫文学館」を確認しました。
六条藤家と清輔の歌学者としての位置づけについては、日本大百科全書等の解説も参照しました。

