夜もすがら
物思ふころは
明けやらで
閨のひまさへ
つれなかりけり――俊恵法師
百人一首85番は、恋の物思いで眠れない夜があまりに長く感じられ、夜明けの光が入ってくるはずの寝室の隙間まで「つれない」と思えてしまう心を詠んだ歌です。
全日本かるた協会でも、85番を『千載集』恋二・766番とし、「夜通し物思いにくれているこのごろはなかなか夜が明けず、寝屋のすき間までつれなく感じられる」と現代語訳しています。全日本かるた協会
ただし、この歌には一つ面白いポイントがあります。
私たちが百人一首でみる本文は、
明けやらで
ですが、『千載和歌集』766番の本文は、
あけやらぬ
です。詞書は国際日本文化研究センターの和歌データベースによると「恋歌とてよめる」です。Lapis
つまり85番は、歌意だけでなく、百人一首と出典歌集で本文がわずかに違う歌でもあるのです。
「夜もすがら」の意味
わかりやすく言えば、
「恋しい人のことを考えて一晩中眠れないこの頃は、夜がいつまでたっても明けないように感じる。朝の光を入れてくれるはずの寝室の隙間まで、私につれなくしているように思えてしまう」
という歌です。
苦しい恋を抱えて眠れずにいるため、
時間そのものが止まってしまったように感じている
のです。
そして、その感情がついには、人間ではない「寝室の隙間」にまで向けられます。
ここが85番の面白いところです。
現代語訳
一晩中、恋の物思いに沈んでいるこの頃は、夜がなかなか明けきらない。朝の光が差し込んでくるはずの寝室の隙間まで、私につれなくしているように感じられることだ。
「つれなし」は、冷淡だ、薄情だ、そっけない、といった意味です。
本来なら人間に対して使われる感情を、
閨のひまさへ
つまり寝室の隙間にまで向けているところが重要です。俊恵の歌を紹介する資料でも、夜明けの光が差し込まない寝室の隙間を「つれなく」感じる歌として説明されています。名古屋刀剣ワールド
この歌を描写すると
85番は、俊恵法師本人を大きく描くよりも、眠れない人が見た夜明け前の寝室を描く方が歌に忠実な描写です。
暗い寝室。
人物は一人だけ。
一晩中眠れず、夜具の中またはそのそばで起きています。
御簾や板戸などの細い隙間があるのに、そこから朝の光はまだ差し込まない。
室内の灯火は消えかけている。
しかし外もまだ暗い。
そして、ごくわずかに空だけが白み始めている――。
重要なのは、実際には夜明けが近づいているのに、本人には「いつまでも明けない」と感じられていることです。
人物の顔を大げさに泣かせるより、
- 消えかけた灯火
- 長い夜
- 暗い寝室
- 光の入らない隙間
- わずかに白み始めた外
を使って心理状態を見せる方が、この歌を目から理解できます。
「夜もすがら」とは?
「夜もすがら」は、
一晩中、夜通し
という意味です。
ただ「夜に考え事をした」のではありません。
夜の初めから明け方まで、ずっと眠れない。
最初の五音だけで、この歌の時間の長さが決まります。
夜もすがら
と始まった時点で、読者は長い夜の中に置かれるのです。
「物思ふ」は恋の悩み
「物思ふ」は、ただの考え事ではありません。
古典和歌では、とくに恋に悩むことを表す代表的な表現です。
この歌も『千載和歌集』では「恋歌とてよめる」と明記されています。Lapis
「ころは」が示すのは一晩だけではない
ここで見逃したくないのが、
物思ふころは
です。
「ころ」は「この頃」。
つまり、
今夜だけたまたま眠れなかった
とは言っていません。
このところ何度も、同じように眠れない夜を過ごしている。
一晩の長さだけでなく、
そうした夜が続いていること
まで感じさせる表現です。
「明けやらで」とは?
「明けやらで」は、
完全には夜が明けないで
という意味です。
「やる」は、ここでは「~しきる」という意味。
したがって、
明けやる=すっかり夜が明ける
です。
それを「で」で打ち消して、
「夜がすっかり明けないままで」
となります。
ただし冒頭で触れたように、『千載和歌集』766番では、
あけやらぬ
となっています。Lapis
『千載集』では「明けやらぬ」
『千載和歌集』の本文を確認すると、
よもすから物思ふころはあけやらぬ
ねやのひまさへつれなかりけり
です。Lapis
一方、現在広く知られる小倉百人一首では、
明けやらで
とされています。全日本かるた協会でもこちらの本文を採っています。全日本かるた協会
意味は大きく変わりません。
「明けやらぬ」なら、
完全には明けない
という状態をそのまま「閨のひま」へつなげます。
「明けやらで」なら、
完全に明けきらないままで
という流れになります。
百人一首の記事では、こうした出典本文との差も知っておくと、古典が一つの固定された文字列だけで伝わってきたわけではないことがわかります。
「閨」とは寝室
「閨(ねや)」は、
寝室、寝所
のことです。
そして「ひま」は、
隙間
です。
したがって、
閨のひま
は、
寝室の戸や建具などにある隙間
と理解できます。
夜が明ければ、そこから外の光が差し込んできます。
眠れない人にとって、その光は、
長い夜がようやく終わる合図
でもあるわけです。
ところが、その光がなかなか来ない。
そこで隙間そのものまで恨めしく思えてきます。
本当につれないのは誰なのか
「つれない」のは、本来なら恋の相手です。
しかし一晩中物思いを続けていると、その感情が周囲のものにまで広がっていきます。
恋人がつれない。
夜も明けてくれない。
隙間も光を入れてくれない。
つまり、
相手への恨みが、夜そのもの、部屋そのものへ拡大している
のです。
これは擬人化というだけでなく、恋に悩む人の心理を非常にうまく表しています。
「閨のひまさへ」の「さへ」
「さへ」は、
~までも
という意味です。
閨のひまさへ
は、
「寝室の隙間までも」
です。
ここには段階があります。
まず、つれない相手がいる。
次に、夜がなかなか明けない。
そして最後には、
「こんな無関係なものまで私につれない」
と感じ始める。
「さへ」が、その感情の広がりを表しています。
「つれなかりけり」の「けり」
「つれなし」は、
冷淡だ、そっけない、薄情だ
という意味です。
「けり」はここでは詠嘆。
したがって、
つれなかりけり
は、
「なんとつれないことだなあ」
という感情になります。
一晩中積み重なった思いが、最後の「けり」で吐き出されるような形です。
実際に夜が長いのではない
この歌には、
月
星
雨
雪
といった、夜を長く感じさせる具体的な自然現象が出てきません。
時間が長くなった理由は一つだけです。
心です。
時計で測れば同じ一晩。
しかし、眠れる夜と眠れない夜では、感じる長さはまったく違います。
俊恵は、
心理によって時間の感覚が変形すること
を、非常に簡潔な歌にしています。
男性僧侶がなぜ女性の恋を詠むのか
作者の俊恵は男性で、しかも僧侶です。
それでもこの歌は、一般に恋人を待つ女性の立場を想定した歌として解釈されています。
現代人には少し不思議に思えるかもしれませんが、題詠では歌人自身の性別・身分・実体験とは異なる立場から恋を詠むことがあります。
『千載集』の詞書も、
恋歌とてよめる
としか書いていません。Lapis
ですから、
恋に悩む人物の心理を歌人が作り上げた作品なのです。
作者・俊恵法師とは
俊恵は永久元年、1113年生まれの歌人です。
父は百人一首74番の源俊頼。
祖父は71番の源経信です。兵庫県立美術館の兵庫文学館も、俊恵を源俊頼の子とし、17歳で父と死別したのち東大寺の僧となったとしています。兵庫県立美術館
つまり、
71番・源経信
→ 74番・源俊頼
→ 85番・俊恵法師
と、三代続いて百人一首に入っています。
百人一首を家系から見ると、とても興味深い例です。
「歌林苑」という和歌サロン
俊恵を語るうえで特に重要なのが、
歌林苑(かりんえん)
です。
俊恵は京都・白川の自坊を歌林苑と呼び、そこでたびたび歌会を開催しました。兵庫県立美術館は、ここが多数の歌人の交流の場になったと説明しています。兵庫県立美術館
歌林苑には、源頼政や二条院讃岐などを含む歌人たちが集まり、平安末期歌壇の一つの重要な集団を形成しました。コトバンク
百人一首で見ると、
84番・藤原清輔
85番・俊恵
87番・寂蓮
90番・殷富門院大輔
92番・二条院讃岐
など、近い時代の歌人どうしのつながりが見えてきます。
鴨長明の師でもあった
俊恵のもう一人の重要な弟子が、
鴨長明
です。
『方丈記』で有名な人物ですが、歌人としても活動していました。
兵庫県立美術館の鴨長明の略歴でも、「俊恵を和歌の師とする」と明記されています。兵庫県立美術館
さらに長明の歌論書『無名抄』には、俊恵の和歌についての言葉が数多く記録されています。俊恵自身の歌論を考えるうえでも重要な資料です。兵庫県立美術館
つまり85番からは、
百人一首
→ 歌林苑
→ 鴨長明
→ 『無名抄』
→ 『方丈記』
へと、日本文学史を横断していくことができます。
85番と87番は『千載集』でも近い
『千載和歌集』を見ると興味深いことがあります。
765番は、87番の作者でもある寂蓮法師。
その直後、766番が俊恵です。Lapis
765番も「恋歌とてよめる」で、
思ひ寝の夢だに見えて明けぬれば……
と、夜・夢・夜明けを詠みます。
その直後に、
夜もすがら物思ふころは……
と続きます。
一首だけを見るのではなく『千載集』の配列を見ると、眠れない恋の夜、夢、夜明けというイメージが続くように配置されていることもわかります。
85番を読むときの一番大切なポイント
この歌を、
「恋人が来なくて眠れない歌」
とだけ理解すると、少しもったいありません。
本当の面白さは、
心の状態が、時間と空間の見え方を変えていること
です。
一晩は実際にはいつもと同じ長さです。
寝室の隙間も、ただの隙間です。
それなのに、恋に悩む人物から見ると、
夜は終わらない。
朝は来ない。
隙間さえ自分を拒んでいる。
つまり85番では、
「つれない恋人」が一人いるのではなく、世界全体がつれなく見え始めています。
俊恵は、激しく泣く姿や直接的な恨みを描かず、
光が差さない小さな隙間
だけで、恋する人の孤独を表現したのです。
参考資料・参照先
『千載和歌集』766番の本文・詞書・歌番号は、国際日本文化研究センター「和歌データベース」で確認しました。特に同資料では「明けやらぬ」となっています。Lapis
百人一首本文と現代語訳は、全日本かるた協会も確認しました。全日本かるた協会
俊恵の経歴、歌林苑、家集『林葉和歌集』、鴨長明との関係については、兵庫県立美術館「ネットミュージアム兵庫文学館」を参照しました。兵庫県立美術館
俊恵の歌林苑が平安末期の歌人集団の中心となったことについては、『世界大百科事典』の俊恵項目も確認しています。コトバンク
江戸時代の俊恵法師の百人一首図像も、国文学研究資料館所蔵資料を出典とする画像が公開されています。

